宗教と科学とスピリチュアル

ヒーラーの日常

宗教と科学とスピリチュアルという話題です★

『聖書の暗号』という本があります。その中には、聖書には暗号があり、それを解読すると、人類で起こることが前もって書いてあるという内容です。

何だかワクワクする内容ですが、もともとの聖書は、スピリチュアルそのものな内容だったのだと言われます。

しかし、時の教会が、そのようなパワーを人々から隠そうとして、聖書の内容は限定的なものになりました。

欽定訳聖書では、もともとの聖書のスピリチュアルな部分をうかがい知ることができるそうです。

私は残念ながら英語で感じられるまでには至っていません笑。

キリストが存在した頃には、神秘学派(ミステリースクール)も存在し、人類がキリストを誕生させた背景があり、人々はキリストやキリスト教をもっと深く必要としていたのだと思います。

仏陀が存在したインドは、人々が道を求めて歩いた時代です。その頃の求道者とは最先端な人々だったはずです。


日本においても、仏教が広まる過程では、今とは違う人々の熱狂があったのだと思います。

今私達が知る、宗教というものが形骸化して、線香臭さを感じているのとは、全く異なったものだったはずです。

今は科学の発達があり、現代人は科学的な根拠という新たな宗教を手に入れました。

それは既存の宗教が果たしていた役割の一部を、科学が担ったのだと考えます。

科学的であることがひとつの大きな人々の指針です。今は。

しかし、その科学で分かっていることの割合は、全宇宙のほんの数%です。

私たちの脳は5,6%しか使われていません。

オーラの測定器がありますが、測定しなくても、私たちは誰でもオーラを見ることは可能です。

そのような全体性を欠いたものを(気がついていないまでも宗教的に)信頼し、自分の指針としているのが今現在の私達です。

逆に言えば、6%程度しか、私達は自分自身について知らないと言えると思います。

それが100%に近づくためには、私達自身のスピリチュアリティの開花、目覚めが必要です。

本来、スピリチュアルな事象、起こることは、すべて科学的、物理学的に説明可能です。

しかし、スピリチュアルという領域に人々が入っていかない限りは、その科学的な証明もされないでしょう。

スピリチュアルとはその人の全体性であり、自分とは何者であるかを問い続けることです。

言葉を変えると、愛とは何かに気が付き続けることです。

科学者は、自分が見たいものを発見します。それらは、古代から変わらずそこに存在していました。それを、地球においては、誰かがどこかで発見しているのです。

愛を発見したいのか、それ以外のもの(愛の反対は恐れ)を発見したいのかです。

私たちは愛、喜び、幸せを取り戻すために、または体験するために、地球に生まれてきました。

魂がその道が何であるかを示してくれるはずです。

かつての宗教が人々の熱狂をもって受け入れられていた時代、キリストはあなたのすぐ横であなたに語りかけていたでしょう。

仏陀は人に喜びを伝えていました。それはあなたがあなたに還ることができるという喜びです。仏陀が言ったことはこれだけなんです。

宗教学的にでも、信仰心からでも、科学を信頼していても、全体としての自分は何者であるか?という問いに答えることが、人間の生きる目的だと思うのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました