こんにちは、ヒーラーのSarahです。今週は第4チャクラ・ハートチャクラです。
【目次】
- ハートと情熱の関係
- 部屋中赤だらけにした話
- 今日は人生の裏側の話かも
- 何で動けないのか?
- 情熱って何?
- こうあるべきに縛られる
- 清貧の誓いと宗教戦争
- ハートの愛が受け止める
- 安心して怒れるように
ハートチャクラの色は特にありませんが、緑色の光線が対応していると言われています。
緑・エメラルドグリーン、またはより高次ではピンク色になります。

ハートと情熱の関係
では、ハートでの課題について・・・・人生を動かすもの、原動力とは何か?
人生の情熱とハートはどんな関係なのか?
というのが今週のテーマです。
ちなみに情熱の光線は赤ですね♬赤い光、単純に赤い色とも言います。
部屋じゅう赤だらけに
私は昔々、自己ヒーリングを始めた頃に絶望(笑)だらけのエネルギーが浮上してきまして、身体から全く活気、生気がなくなったことがありました。
感覚もなければ、温度もないように感じました。
その時に行ったのが、家じゅうの赤いものを部屋に集めて部屋を赤だらけにしてしまったことがあります。
それがいいとか何かを知っていたのではなく、身体が自然にそうしたのですが、それほど生気がなくなっていたんだと思います。
そうやって24時間ずっと赤い色に浸っていると、だんだん活気が出てくるような気がしたのでした。
という赤の光線は、情熱をもたらしてくれる光線でもあります。
ちなみにちなみに、今これの黄色バージョンをキッチンでやっていまして、イエローで北欧ポップな台所を楽しんでますが、その裏には・そう・・・・自己意思決定についての課題がああああっ〜
今日は人生の裏側の話かも
おっとっと、気を取り直して、さて今日はそんな情熱についてです。人生の原動力というとちょっととらえどころがないですが、
身近に言えば、何かを始めるきっかけってなんだろう?ということです。
なにかに感動した、心が揺さぶられた、動かされた時に人は何かを始めるように思います。、
素晴らしい芸術や職人技や、旋律、仕事ぶり、生き方や思想、そんな何かに触れた時に、触発された、自分もやりたくなったという場合が多いと思います。
ここまではストーリーで描きたい話しですね。
が、今日のはその”いわゆる”素晴らしい感動ストーリーによって心動かされて何かを始めるきっかけになった話ではありません。
本当にそれが原動力なのか?
本当にそれだけなんでしょうか?
じゃあできない私って何?
何かがそれ以上にあるような気がする・・・・・・
という、こじらせ女子男子でも人生が動く裏の理由についてであり、実はこれがないと動けないものの話です。
私はちょっと歪んでいる笑ので、素直に感動しただけでは動かない・動けないタイプだったんです。
でも、結果的にそうだと分かっただけで、ホントは私もキラキラストーリをやりたかった、そしてやろうとした笑。
ハートが魂が共鳴して、感動して涙が流れるという体験は誰もが一度はあるように思います。
私もあります。
そこで、即行動できたなら、何よりだったのですが・・・・・・
出来なかった・・・・
それは、傷ついた体験を持っている人の中には、その自分の素直な感動を、斜めから見ているもうひとりのひねくれた自分という存在が内面にいて、そんなこと私はやらない、認めないからね!と言っているのです。
まあ、なんてひねくれて、病んで、こじらせている、そんなもう一人の自分が。
でもどうでしょうか。そんな気持ち意外と多くの人の中にあるのではないでしょうか。
例えば、他の人の成功を喜べない、そんな部分ってないですか?
それって、ある意味正常な気持ちとも言えますが、望ましい感情ではないものです。
自分で、わあ、これって性格に問題あるんか?とも思ったりしますが、どうも私の周りのヒーラーたちや一緒に学んでいた仲間たち、バイト先で出会った皆さんを見ていても、色んな分野の人でも、そうなんだなあって思います。
なんで動けないのか?
さて、どうして行動できないんでしょうか?!
どうして感動ストーリーを体験した時のエネルギーのままに進んでいかなかったのでしょう?
魂レベルでこれだ!と思ったことをやらないのはなぜ?
出来ない、やらないと決めてるんでしょうか?
その答えは・・・・・情熱がないから・・・・になります。
人生にはこの情熱、情熱の炎が必須で、特に自分で自分の道を切り開いていこうとする時には不可欠なのです。
しかし、こじらせている=傷ついているという側面が、情熱の炎に火がつかないわけなのでした。
情熱って何?
さて、この情熱、具体的にどうしたらいいのか?
そもそも情熱ってなんでしょうか?
についてです。
私の言葉で言うなら、
情熱とは反抗心、このやろう!って思う気持ち、
てめえふざけんなよ!って感情、
覚えてろ!いつかやったるからな!という復讐の気持ち。などなどです。
・・・・・・えーーーーーーー!
ってなりますよね。
でもホント。盛ってません!実際にこうなんです。
私もずっと気が付かなかったのです。
こうあるべきに縛られる
しかも、そもそもスピリチュアルなことを言ってる人が復讐って言っていいの?
って思いますよね。
だいいち、そんな自分の部分なんて見たくないし、知りたくもない。
そういうのが嫌でスピリチュアルな世界に入ったのに!
・・・・・・
って思いますよね。
私もそう思っていました。
ずーっとずっと、ヒーラーだ、スピリチュアルだ、霊性の進化だって言ってるんだから、何より清廉潔白である必要がある。
内心は本当にそう信じて疑いませんでした。
もしくは、正しく存在する必要があるとか、
すべての人のとっての素晴らしさとなる必要があるとか・・・。
そんなこと考えたらできるはずないですよね。
なんとなく世の中のスピリチュアルな人々全般的にも、スピリチュアルな発信をする人、エネルギーを扱う人、ヒーラーというものは清廉潔白であるべきとか、ネガティブなこと言葉に出して言っちゃだめとかっていう謎のおきてのようなものがある気がしていますが、どうでしょうか?
そういった聖人君子、清廉潔白であることを自分に課しているような。
エネルギーを扱っている人全般に、やったことが自分に返ってくると分かっているので、今の自分の思考やエネルギーについては自覚的であるようにしていますが、それは仕事においてはそうであったとしても、所詮は人間なわけです。
嫌なことでむかついたり、思い出したりなど日々してます。
それらをなかったことにスルーして、ポジティブなのだと思い込もうとしても、なんか意味ないかもって思ったのです。
だってそれって、負の感情に蓋をして気が付かないようにして、無理にポジティブになっているようなものだから。
そうやってなかったことにするのなら、負の感情をはっきり感じたほうが全然いいと思います。
スピリチュアルな人がネガティブなことを言ってはならないは・・・・・やっぱり違うなあ、むしろ自覚したほうが早く解放できますし。
だんだんとこのように思うようになりました。
清貧の誓いと宗教戦争
また、清貧の誓いって聞いたことありますか?
私はヒーリングを一緒に学んでいた仲間から聞いたのですが、過去世でこの清貧の誓いを立てていることがあって、そんな人は今生でも清廉潔白であろうとするとのことでした。
それに関連して、過去世において、キリスト教がもたらした負の歴史に触れておこうと思います。
今日はハートチャクラなので緑、ピンク色の光線や、情熱の赤い光線も登場していますが、光線の側面からの話です。
過去2000年間、最も重要な光線は、インディゴ(藍色)でした。
その間ずっとキリスト教に関わるある一定の人々(主に高官たち)が、神の名のもとインディゴ(藍色)の光線を多用してしまい、宗教戦争が起こるほどに闇と光のバランスが崩れ、それにより中世の闇が深くなったと言われています。
魔女狩りに始まる見境のない取り締まりをしてしまったことは戦争以上に深い影を地球上と人類に落としたのでした。
そして、本来は良き側面が殆どだった清貧の誓いが、一部偏執的な(かたくなな)様相を帯びたということです。
ですので、過去世でキリスト教の高官だった人、信託を降ろしていた記憶がある人、また逆に魔女狩りにあった人も、こんな歴史があった時代があったんです。
私達自身のかたくな部分の根底にはこういった歴史が横たわっていたりしますので、内面を紐解く参考になればと思います。
ちなみに私も、魔女狩りを経験しております笑。
今生でもう隠れて魔法を使わなくてもいい、捕まることはないと分かった日、涙が流れました。

まあ、このような人類全体の歴史も相まって、清廉潔白であるべきとことさら思っていたわけです。
しかし、ヒーラーだったとしても、嫌な感情って日々あるのが当たり前だなあ。
そう思えるようになって初めて、私の中の嫌な感情や体験の記憶は、暖かく受け入れられるようになったのです。
ハートの愛が受け止める
この自分を受け入れるという作業をどこで担うのか?
それこそ、ハートの愛にほかなりません。
本来なら目を背けたいこと、誰にも言えないような体験。
そして、これまでなかったことにしていた過去。
それらは、ハートの愛の深さが受け止めてくれるものです。
そして、嫌な自分を愛することができればできるほど、愛は大きく深くなっていきます。
愛はあなたを満たしあなたから溢れ、周りの人たちにも伝わります。
あなたの愛が流れ出ていること、それにも許可を出しましょう。
聖なる存在であることに。
そして情熱が発動する
そして、情熱に話を戻すと、
てめえふざけんなよ!って思った瞬間、あなたの情熱に点火がされるのです。
これにこそ許可を出してください。
これも私の経験ですが、
とあるスピリチュアルな講座の受講中に、私は出入り禁止になってしまいました。
もう10年以上前の話です。
なぜそうなったのかは私にはわかりませんが、その講師の人は、つまりは出て行けってことを伝えてきたわけです。
大気がおかしい、いつも天候が違うなどなどに始まって、そのうちに私が波動が低い化繊の衣類を着ているからだなどと言い出して、私に向かってサーキュレーターを回し始めました。
人生が辛かったため藁をもすがるつもりで(本当に)参加した講座で、そんな風に言われることはショックで言葉など出ず、動けなくなりました。そのうちにいたたまれなくなり、逃げるように会場を出たのでした。
あまりのショックで当時は泣いて帰るしかありませんでした。富山から東京まで行ったにもかかわらずです。
この時私は、生気がなくて部屋を赤だらけにした時と同じ状態になったわけです。
しかし、今、あの出来事を思い返してみると、自分だったらどうしただろう?と思うわけです。
参加者の一人に、嫌がらせとも思える言い方で、まるで存在が迷惑のようにふるまうだろうか?と。
私なら、何らかの理由があったなら、はっきり思っていることを話して、理解を得るようにするだろうと。例えば、別室に読んで、他の人には聞かれなようにの配慮もするだろうし。
理解してもらえなくてももらえても、説明する努力はやるだろうと思ったわけです。
そうすると、私の内面にメラメラと燃えてくる炎が見えるじゃありませんか!
講師のくせに受講者に自分が悪いと思わせて追い返して、よく考えてみれば料金も一切返すつもりもないなんて、そもそもお前の能力不足じゃあ!!
っていう炎が。。。。。。。。。。
そうなんです!
これが情熱です!
この情熱をないものにしないことこそ大切なのです。
こんな負の感情、まるで復讐心じゃないか!!っていうこれです。
この時には、本当に辛い中での参加だったので、なおさら思い出したくない出来事でした。そういう意味でも蓋をしてきました。
しかし、向き合えるようになった今、、、、
すべきことは、正当な怒りを感じることを自分に認めることです。
怒りの感情自体はとても健全なものです。
それに蓋をすることによって、感情を感じるのではなく、ここから復讐心へと変わってしまいます。
この怒りの感情こそ、情熱の炎の着火剤。
人生を前に進めてくれるもの。
安心して怒れるように
魂の琴線に触れる経験をしても、行動できない、何も出来なかったという、こじらせさんたちは、怒りの感情を正しく消化してあげていないことに気が付きましょう。
私のように怒りを飲み込んで自分が悪いとさえ思い、身体から生気がなくなっているから、行動できないのです。
もし、過去の出来事を思い出すことができるようになった時には、正々堂々と怒りたいだけ怒ってください。
そして、その熱量で今生の使命を果たして行ってください。
ハートチャクラでやることとは、スピリチュアルな活動をしながらも、同時に腹立たしいことでいちいち怒り出すことに許可を出すこと。
そして、何とも厄介でわがままで強情なその自分を愛すること。
どうぞぎゅっと抱きしめてあげてくださいね。
あなたがハートの愛で辛い出来事を受け入れてくれてはじめて、その体験をしたあなたの一部は、安心して正常な感情と感覚を取り戻してもいいんだ!怒ってもいいのだと思えるのです。
今日は情熱で人生を動かすこととハートの愛について、こんな感じです♬
いつもありがとうございます。
チャクラとオーラを癒やす。過去現在未来を紐解き問題の核を癒やしていくスピリチュアルリーディング・初回割引あります。
こちらより
コメント