今日はタイトル通り、芸術とうつと人間の尊厳について。
ここで言ううつとは、うつ傾向というのではなく、はっきりとしたうつ病のことです。
はじめに言ってしまうと、うつ病の根底にあるのは、
『自分がほしいもには絶対に手に入らないという絶望』です。
絶望がうつ、さらには他の精神疾患を作り出します。
が、時としてこの絶望が奇跡のような才能をもたらすことになります。
優れた芸術家がうつ傾向であったりするわけで、
それが本当の病気であるなら、
人のある側面、一部分は研ぎ澄まされるものだからです。
補填しようとするのか、バランスを取ろうとするのか、とにかくそれが秀でた才能となります。
そして、残念なことに(幸せなことに)笑、
うつが治ってしまうとその才能は無くなっていきます。
必要が無くなるわけです。
その才能とは、絶対音感を持つという性質というよりは、
人の醜態に近いものだからです。
そして芸術とは、ほぼ醜態であったりします。
それ程に紙一重なものです。
そして才能は無くなってしまうが、今度は人間性での成長が起こり
また新たな進化の階段を登るようになります。
これは精神疾患を克服できたという話しです。
精神疾患を克服したということは、
全ての病気を克服したと同じことです。
なぜなら、
身体のあらゆる病気の最終形態が精神疾患だから。
そこを克服することが、今の人生の目的であることとするなら、
その目的を達成した人は、
人類にどれだけの恩恵をもたらしているか計り知れません。
控えめに言っても。
そうやって生きている人、精神疾患と向き合って生きている人とは、
この日本だけでもたくさんの数が存在しており、世界中にいったいどのくらいの数の人が存在するのでしょう。
彼ら一人ひとりには人生があり、
時に人生は重たく、
困難であったりします。
その人生を選んで生まれてきたことへの尊敬の気持ちを、
当事者も周りも持ちたいものです。
その人の人生が表面上どのように見えていたとしても、
絶望から再び生き返ろうとする人へのリスペクトを、
何もできないかもしれないけれど、
誰もが決して仲間はずれじゃないという気持ちを持つこと
これらのことに全人類は思いを馳せることが必要だと思ってやみません。
そして、私自身においても、精神疾患を克服しつつあります。
ずっとずっと自分には価値がないと思い続けてきました。虐待のトラウマゆえでした。
そして、自分の望んでいるものは絶対に手に入らないと思ってきました。
しかし、私自身から精神疾患を克服しようとする魂の尊さを実感していこうと思っています。
表には見えないけれど、
誰からも評価されないけれど、エネルギー的に地球に貢献していることが、今の私はよくわかるようになりました。
人類のこの側面を担当しようと生まれてきた魂とは、それだけで価値があるものです。何もしなくとも。
それを誰よりも、当事者である私自身から実感していきたいと思っています。
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