私は、仏教の究極の解釈はこの円成実証ではないかと思います。
どういうことかと言いますと、最も苦しいと思った体験の中に飛び込むことをブッダは求めていたと思います。飛び込むとは、これまで抑圧してきた体験に光を当てることです。思い出すくらいなら死んだほうがいいと抑圧し続けてきたもののなかにその中に飛び込むことなのです。ブッダはそこで中道を見つけました。そこで見える景色こそ人生最大のギフトであること。
さて、そうした時に何が起こるでしょうか。・・・・ブッダと成るのです。生きる意味・使命を知ることによって。ブッダと成る。ブッダとは覚醒に至った人のこと。それを一言で表すとするなら、宇宙との一体感を体得したと言えるでしょう。宇宙がそのまま自己の中に存在することを体得した、さながら円である宇宙が自己であることが分かったのです。円である宇宙がすなわち自己と成る。それを身をもって実証したこと。それが円成実証。ブッダがそれを意図したかどうかは分かりませんが、後々の仏教徒たちが、解釈に解釈を重ねていき、大乗仏教、そして密教、チベット、中国、そして日本に渡っていきました。後の仏教徒たちがブッダの教えを解釈し続け、展開して行ったことそれ自体が円成実証であり、もしかするとブッダの本当の意図はそこにあったのかと思うほどです。
そして、私たち後世の仏教好きの円成実証とは、宇宙との一体感を得る為には、あなたの命をかけた人生を送ることを選択すること。その具体的な方法は、あなたの最も辛く苦しい体験の中に飛び込むと決めること。つまりは、意識下に抑圧してきた体験を癒していくと決めること。
あなたが最もいたたまれなかったあなたをあなたが受け入れること。その時、あなたの人生が、本当の輝きとなり、本来の姿を表すのです。
それを後世の仏教徒は円成実証と言って、ブッダの真意を著したのです。
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