今日は、エネルギーから見ると共依存状態ってどんなふうに見えるののかという観点から、『ちょっと怖い共依存の実態』をお伝えします。
こんにちは、ヒーラーのHidekoです。
共依存をエネルギーで見た時には、言葉にすると洒落にならないことが起こっています。私の実体験も含まれていますので、ぜひお付き合いください。
突然ですが、生霊ってありますよね。
普通は、いがみ合っている人たちがいて、一方がもう一方に激しく嫉妬した場合に、生霊となって取り憑いている。そんな理解ですよね。
ストーカーはこれが当てはまるかもしれません。
異常なまでの興味関心と、憎悪と嫉妬といった感情がベースにあると思います。
そんな異常な心理状態が、親子の共依存にも当てはまります。
親との共依存状態って、親の生霊と常に一緒にいるような場合もあります。
そこら辺のホラー映画かおまけです。
つまり共依存の親子というものは、ただ好きとかそういうレベルではありません。
激しい憎悪や嫉妬、怒りや異常な心配などの混じった感情をお互い意識下に抱えていて、依存しあっているんだと思います。
これまで私も含めて今まで見てきた一例ですが、完全に生霊が肩の後ろにいる二人羽織のような状態もありましたし、本人なのかその親御さんなのか区別がつかない程にエネルギーがひとつになっていることもありましたし、時おり本人ではなく親御さんの生霊が話しているのかと思ったこともありました。
ただ、言葉にするとちょっとおどろおどろしいですが、実は、怖がる必要は全くありません。魂を持った霊が人にとりついていることは珍しくはありませんし、この先親の生霊に取り憑かれていると分かっても、今までと何も変わらないわけですからね。
ただ、自分ももしかしたら親の生霊が・・・と思った方は、読み進めてみてください。
私の場合は、エネルギーの癒着が起こっており、境界線などない状態でしたし、母親と常にエネルギーのコードでつながっていました。その上に父親が背中に乗っかていた、そんな感じでした。
境界線とは人との健全な距離感のことです。
昔からヒーラーさんのセッションを受けるたびに、身体が相当に辛いはずだと言われていましたが、自覚できるまでにはかなりの時間がかかりました。
生まれと時から自分の人生などなく、両親を背負い続けてきてそれが当たり前になっていたからです。
小学校4年の頃には、精神的なバランスを取るために、両親の葬式の場面を思い描くことで(両親が死ぬことを思い描いて)何とか日々の溜飲を下げていましたし、その頃には過食が始まっていました。
小学校5年の時には、先生から注意を受けるほど頑固な一面をもつようになっていました。
10代や20代のときにはそれなりに反抗もしましたが、エネルギー的に一緒にいるということは、24時間絶え間なく親が私の耳元で、言うことを聞け、全部お前が悪い、ただじゃおかない、死んでほしいと言うのを聞かされているようなものです。
たちが悪いことに、それを親は愛情をかけていると信じています。だから手に負えないんです。親の愛情という正義を振りかざしてきます。間違った正義感ほど厄介なものはありません。
反抗したときには、一時は私の言うことを聞いてくれたように思えても、今度はエネルギー的にもっと縛り付けられましたので、いつしか黙って言うことを聞いたほうが被害が少ないと思うようになりました。
母親は、私から好きなだけエネルギーを奪いましたし、私が何を言えば傷ついて泣いてしまうのかをよく知っていました。だからいい大人になってからでも、母親の心ない一言で、ひどく傷つき大泣きしたことも一度や二度ではありませんでした。大泣きの後は決まって私は寝込んでしまいました。
そうやって私からエネルギーを奪って、自分がはつらつとすることは母親にとっては朝飯前のことです。
では、どうして大の大人が、高齢の親の一言で、未だに傷つき、大泣きしてしまうと思いますか?
それは、その部分では、3歳の子供とお母さんの関係のままだからです。3歳児が傷ついて大泣きした時と同じ関係が何十年ってもつづいているからなんです。
どうやったら、効果的に私が傷つくかも、自分の思い通りにできるかもよく分かっていますよね、なにせ相手は赤ちゃんですから。
そして、その乳幼児の子供が発達することを親が望まなかったとしたら、子供は発達することができないまま身体だけ大きくなっていきます。
私にも発達障害な部分があり、それは親が私の発達を望まなかったから、もっと正確に言えば、育てるという概念がそもそもなかったからだと思います。
私は、親との葛藤の中で、なるべく被害が少なく生きていくためには、親が機嫌がいいのが一番だ。だから、彼らが希望することを叶えていこう。そうすれば被害は最小で、何とか日々暮らせる。という生き方を選択していきました。
また、全部お前が悪いんだと罪悪感を植え付けられて、私は、目の前で知らない誰かが転んでも、私がなにか悪かったのではないかと思うようになっていました。
そんな罪悪感のため、自分が好きなことをやることを、本当に親に申し訳ないと思っていたので、自分が好きなことをやったら、その3倍ほどは、自分が失敗するようなことをわざとやって、何とか許してもらおうとしていました。そうしないと、また縛られる、ひどい目に遭うとの恐怖から身体が勝手にそうしてしまっていたんです。これは親が見ている見ていない関わらずそうしていました。
両親にとって、私に感情があることや、やりたいことがあることなど、分かるはずもなく、想像さえしていないと思います。
それはそうですよね。私にも人としての尊厳があると思うなら、人の人生を土足で上がってくるようなことはしないはずです。
父は他界しましたが、未だに、母は私に好き放題を言い放っています。何度もあなたの言葉でいかに私が傷つくかを説明しましたが、やむことはありません。私に人権があると言っても、言葉の意味は分かるけれど、まさかこの私が他の人と同じ人間だとは理解できないし、理解する気もないのだと思います。また始まったくらいにしか思っていないんですね。
この関係を終了させることができるのは、やはり自分だけです。私は、母親との依存関係を解消することに取り組んできましたし、今もその途中です。
母親の言葉で大泣きすることはほどんどなくなりました。
今だに、今の感情って、私のものなんだろうか?それとも母親のなんだろうか?と思うことがあります。
先に書いた、憎悪と嫉妬と怒りや心配などの感情が混じり合ったもの。それは私の母が持っているだけではなく、今や自分の中にもそれがあるのだろうとも思います。
しかし、もともとは母親のもの。だから私がそれに付き合うことはもうないですよね。
この自分の中に親の憎悪や嫉妬、怒りが転移していることに気がつくことがポイントです。これは、自分のほんとうの気持ちなんだろうか?違うんじゃないのかな?と一つづつ自分ではないものを手放していくと、だんだんと親との距離ができていきます。
そうなると、生霊が取り付くことができる部分がなくなっていくんです。
健全な境界線は今からでもつくっていけるんです。
また、誰かが見たら高齢の親に暴言を吐いているように見えるだろうな、親不孝に見えるだろうなと思いながら、いいやそうではない、3歳児が母親に自分の正当な権利を主張しているだけだと思い直しています。
結局私がこれまで自分の好きなことをもう少しのところでやれずに来たのは、母親と父親に、言いたいことが言えなかったからだと思ったからです。
最初はやめてほしいことを言うだけで、体中ががたがた震えることありました。
それでも3歳のままの発達障害の私は、そうやってやっと成長できるのだろうと思っています。
さて、こんな共依存関係の問題を抱えている人は、親や家族以外の人との適切な境界線も築けなかったりします。
そして、私のような相談業の方に意外と境界線の課題を持っている人が多くいます。ですからこんな体質をエンパスとか、ヒーラー体質と言ったりします。
人の気をもらいすぎて気持ち悪くなったり、人が何を考えているのかが分かってしまい本音と建前のギャップに悩んだり、そんな体質のことです。
今日は、生霊から始まって、なんとも生々しくなりましたが、何かあなたとってのヒントになればいいなあと思います。
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