ドルイドの言葉

ヒーラーの日常

こんにちはヒーラーのHidekoです。

昨日は美しい月が見えていましたね〜★今日は月齢が16です。

今日はこれからの生き方にとって示唆的だなあと思った文章があったのでご紹介します。ケルト・ドルイドについてのホーフェンという人の言葉です。

ドルイドという部分を魂の生き方、イニシエート、スピリチュアリスト、ヒーラー、または真の人類、これからの生き方などに置き換えて読んで頂いてもいいかなと。

『ドルイドは周囲の自然界からインスピレーションを得る。彼女はあたらに雪に覆われた草原の上でキツネたちが跳ね回り、お互いに追いかけっこをしているのを見て、寒い冬の朝に喜びを見出す。

彼女は寒い秋の日、さかりがついた鹿の呼び声を聞いて、熱さと情熱を感じる。彼女は夏の日差しのもと、食べ物と抜く餅を求めて飛ぶ蝶に純粋な喜びを発見する。

彼女は猫が獲物に忍び寄る姿を見るとき、狩りのスリルを見出す。彼女は鷹の羽で曇り空を突き抜けて上昇するとき、人生の螺旋を反映する空の伸びゆく螺旋に上昇気流を見つける。

彼女は人間の本性の精神を讃えながら、市の中心部で奏でられる人間の弦楽の響きの歌に耳を傾ける。

ドルイドであるということは、自分の周囲と同様、自分の行動についても責任を持つということだ。人はこれ以上それについて知らないではすまされない。

目覚めて、力の限りを尽くして、できること、イエスと言えるすべてのことを理解するという言質を与えるべきである。

それは周囲と分かち合えることと同様、自分の行動パターンを学ぶということである。それはいつ開放されるか、いつ蟄居(謹慎)するか、いつ叫び、いつ静かにするかを知ることである。

ドルイドであるということは、リサイクルについて監視することから、水道水がどこから来るかを知ることまで、生活のすべてのことが選択できるということである。

私達が食べる食べ物から住宅地が広がったため住み処を失ったアナグマのことまで、すべてのことと関係を持つということである。

無知をあきらめ。世界に対して目を開き、よりよい場所にするために、できることを理解するという、大きな犠牲を伴うことをおこなうことである。』

(出典https://mikiomiyamoto.bake-neko.net/awen02.htm

ドルイドという響きに、どうしても過去世を思い出すためか笑、懐かしくも複雑な感情を抱いてきましたが、現在ではネオドルイドとして生きていく和が広がっています。

また、森羅万象の中に自分がいるという日本人の原風景とも重なっていると感じます。

これらの言葉を私なりに捉えると、『自らの行動の全てに霊的な責任を持つ』というになると思います。

私自身そうしたいと思いますし(出来ていない部分もたくさんありますが)、少なくとも今日着ているTシャツがアジアのどこかの国の少女が辛い思いをして作ったものかどうかに無関心ではもういられないわけです。

または、動物と彼らの高次意識の了解を得ないで、繁殖売買していることに無知ではいられないわけです。

私自身が、知っているのに見ようとしなかったこと、できないとただ思い込んでいたたくさんのこと、それらを教えてくれるのはいつも、植物や動物たち、そして自然のいとなみです。

どうぞ、良い一日をお過ごしください★

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