こんにちは★今日は月齢が1.4のまだ新月のエネルギーが満ちてる最中です。
今日私の上にはいにしえのドルイドの過去世が降り注いでいます。というか横たわっています。
過去世でドルイドに属していた人々は今生も一緒に転生していることが多いと思いますが、そんなみなさまに今日はドルイドの過去世を癒やすためのメッセージとなるようです。
『広い意味でのドルイドとは宗派を問わず属性も問うことなく、誰もが共同体の一員であるという認識のもとに私達は生活していました。
しかし、一部の今古代ドルイドとしてメディアなどに取り上げられている生贄の習慣や厳しい戒律を持っていたドルイド僧といった人たちが存在していました。それは、もちろん真心からそういった方向に走ったのですが、今現在だとしてもまた、当時であっても、それは受け入れがたい戒律を伴うものでした。
人を神様に差し出すことなど神が望んでいるわけがないということは、現代人であれば共通の理解が可能だと思います。
しかし、生まれたときからドルイドの家系に生まれた人たちからすると、善意という真心は、次第にこう在るべきであるだとか、何としてでも私たちが人類を救わなければならないといった、信じる心とは全く逆の考えに侵食されていきました。
本来信仰心とは、自分という存在を、それを超えた大いなる存在(これを私達プレアデス流にはハイアーセルフといいます)に明け渡すことが大前提です。どの程度それができるのかは問われません。あなたの学びの程度にそれがされたときに、祈りは叶うわけです。
大いなるものに自分を明け渡すことが困難であったも(それはときに犠牲を払うように感じたとしても・本来はそうではないのですが)、私達が今取ることのできる自分のあり方があります。
それは、『人との違いに感謝する』ということです。もっと言えば、人と分かり合えないことに感謝することになります。
分かり合えない人を私たちは(私も含めて)忌み嫌います。時に、分かってくれないと言って責めたり、罵ったり、殺人の原因(本当に殺す以外でも)となることさえあります。
私自身も、どうして分かってくれないのだろう・・・・、分かってくれさえすれば、全てが解決するのに・・・・・と、思い続けてきました。しかし、そう思えば思うほど、物事は進みません。掘る必要のない場所をずっと堀り続けているようなものです。そこからは美しい湧き水が出ることもないのに。
あきらめが肝心という言葉もありますが、いつなんどきにこのあきらめがやってくるのか・・・・私にはみなさんのその時は分かりませんが・・・・分かって欲しいと思うことをあきらめ、やめた時、そこに在るのは、あなた自身への敬意と尊敬、信頼、自分への愛などでしょう。
ドルイドの時代に人によっては激しく自分を律してきたのかもしれません。
しかし、その時代はもう終わりました。もう自由になってもだれもあなたを責めたりしません。
究極的に戒律を守ってきた私たちが、それを守らない人たちを受け入れるのは至難の業でしょう。しかも、それを守らなかった人々は、当時もそしていま現在でも、のうのうと暮らしているんです(そのように見えてしまいます)。
しかし、あなたの目の前のどうしても分かり合えないと感じる人を許した時、古代の痛みは消えてなくなり、そしてまた、今現在のあなたの魂が癒やされ統合されるんです。
今日はぜひ、この分かってもらいたいという地球人すべての痛みの原型を手放し、分かり合えないことに感謝してください。それは、実際に喜ばしいことなんです。あなたのできる限りにおいて。きっとできます。
新月のエネルギーとともに。』
・・・・では、ドルイドの精霊たちとともにプレアデスの癒やしの使者のメッセージをHidekoの体験もまじえてお伝えしました。良い一日を★

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