人に本音を初めて言う

ヒーラーの日常

今日は新月です。

私はこれまで、自分の言葉を社会の中で言ったことが殆どありませんでした。

今日は、自分の意見を社会の中で言えなかったこと、それを克服してきた過程をシェアします。

まず、私が、人が何を私に期待しているのかが分かってしまうので、その期待に合わせた行動をとってしまっていた、ということがありました。

しかも、その人自身も気がついていないような潜在的な期待にさえ応えてしまっていました。

ですから、その人は、私と一緒にいるとなぜか知らないけど、身体が楽になるとか、なんだか知らないけれと仕事でうまくいくようになったりします。

こんな不思議なことを私は難なくやってのけていました。

しかし、私のおかげであると相手は思いもよらないですし、もちろんお礼など言われませんし、場合によっては私の不手際を周りと一緒になって攻撃さえしてくる、そんな状態です。

これは、生まれたときから当たり前のようにやっていたのでずっと自覚できないでいましたが、生きるのが辛いことだけは確かでした。

では、なぜ私がそこまで周りの人の期待に答えようとしてしまうのかというと、それは自己価値を感じていなかったからです。

自分には価値がないと思っていることに気がついたのは、ほんの7、8年前ですが笑。

それ以来、自己クリアリングを毎日やっているにも関わらず、自己価値が依然として上がらない私がいます。

が同時に長い間自己ヒーリングを続けているので、癒やされて自分は素晴らしいと思っている割合は大きくなってきました。

だからこそ今日こんなことを書いていられるんですね。

自己価値がゼロの時には、自己価値がないと自覚することは耐えられなかったと思います。

では、どうして私はそんなに自己価値が低い体験をたくさんしているのかということですが、それは母親との共依存からくることです。

言ってみれば、母親が私と24時間一緒にいて、お前など価値がない、死んだほうが良いと言われ続けている、共依存とはそんな状態なんです。

母の場合には、どうしても私が憎く、嫉妬心からくる共依存関係です。私のことが心配だからでは全くありませんでした笑。

そして共依存とは、母親の考えを自分の考えだと思い込んでいるそんな状態です。だから、私は何をやってもだめで、どんなにスピリチュアルな法則を試しても、結局は価値がなく死んだほういいという母の気持ちを受け取り、そうだと思っていたんです。

今思っても恐ろしいです。

では、どうしてそんなことになったのかというと、母が私をほとんど憎んでいることを母親のお腹の中で気がつきました。

それ以来、母親に生きるために私の大切なエネルギーを送り続けてきました。

母親は病気がちで色々大変だったこともあり、昭和の田舎の村では、子供が生まれないわけにはいかなかったため、生まれてくれなければ困るが、生まれてくれさえすれば、後はどうでもよかったんですね。お腹の中でそう感じましたし、今の母を見てもそれは同じです。

だから私が生きるためには、母の思いを叶える必要があると思ったんです。

生死が関わっていくるので、私は必死でした。とにかく生きるために、そうやろうと決めたんです。

母親の嫌なことは、母親が気が付かないうちに叶える、そんなことも朝飯前のようにやってきました。

母は私が生まれてから、体調がとても良く、生きるのが楽になったようです。

私と一緒に働いていた人たちの誰かがそうだったように。

そして、私は自分を無くして、生きるために母親の人生を助けることだけが自分の人生になってもいいと思ったんです。

それは、私の人生が困難の連続だったこととイコールでした。

さて、そんな風だと社会の中でも何も言えないという事が起こります。

母親との関係は、そのまま社会との関係に影響を与えます。つまりは、完全に従うしかない関係です。

しかし、私もスピリチュアルなことを学び、このままではいけないと、生まれて初めて自分のことを自分の言葉を話す時がやってきました。

それはまるで3歳児のままの自分が話すことだったと分かる結果になりました。

それは、もう辞めることが確定してから上司に自分の気持ちを言ったのが初めてでした。

上司から電話があった際に、もう辞めるんだから言ってもいいと思ったこともあり、初めて自分の気持ちを人に伝えました。

しかしそれは大変酷いものでした。

「お前なんか、何にも分かっちゃいない、電話なんてしてきて、自分の保身のためだけじゃないか、何のために電話してきたんだ、かけてくるな・・・・」と叫んでしまったんです。

本当に酷いですが、本音でした。

3歳児のままの、今まで人に本音を言ったことがないことで、こんな言い方に。しかも、言い方はとても酷いのに、言いたいことの2割も言えたのかどうか・・・

後悔はしていませんが、後になって反省。

この言葉は、私が母親に言いたかった言葉そのものでした。

つまり、大人の母親と3歳児の私という関係がそこには存在していたのです。私が母親の人生を助けようと決めたときから、関係性は変わっていなかったんです。

また、起こったことは霊的にはフィフティ・フィフティです。どちらかだけが悪いということはない。相手も、私と同じだけこの体験を引き寄せていた。という霊的な事実もあります。(社会通念とは別の)

さて、これがあって、この後数年後には私も成長したのか、上司に本当のことを伝えられるようになりました(上司が受け入れられる範囲でという限定した内容でしたが)。

そしてその後には、母親に私の気持ちと要求を伝えて、聞いてもらえるまでに成長しました。

それまでにも自分の気持ちは母に言ったことは何度もありましたが、いつも気持ちをぶつけるだけで聞き入れられなかったり、言い合いになって私だけが疲労困憊する、または私だけが大泣きしてしまう。そんな有り様だったんです。

その時の母はと言えば、私が何を言っても聞いているフリだけで、はいはい、また始まった、としか思っていませんでした。3歳児と大人という関係です。

しかし、ある時から、聞き入れられるようになったのでした。

それは、母親がいくら私に価値がないと言ったとしても、それは本当ではないと腹から思えるようになることと、供依存関係がある程度解消されたことが大きかったと思います。

自分の気持ちを相手に伝わるように伝えるには、やはりここでも母親との関係がベースにあるんです。

みなさんのご参考になれば幸いです♪

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