こんにちは、ヒーラーのHidekoです。
・・・・今日は生きている実感がないこと、
離人感がテーマです。
依存的の裏にある離人感、離人症。
依存的な行動とは、
ゲームに没頭する、買い物依存、アルコールや、タバコ、コーヒーなどのカフェイン、性への依存など。
また、摂食障害や、片付けられないというのも含まれます。
嗜好→ストレス解消→依存的行動
タバコ、アルコール、買い物、ゲームなどの嗜好は、ストレス解消という側面もあって、その範囲内なら問題はありません。
これが行き過ぎると依存となってきて、ストレス解消のレベルではなくなります。
依存的行動になると、ストレス解消というプラス面より、自分へのマイナスの効果がのほうが大きくなります。
自分を傷つけてしまう側面が大きくなる。
依存的行動は、自分には価値がないとか、人生への絶望感が根っこにあって、それを増殖してしまうから。
やめられない、依存というのは、何かにしがみつかなければ生きていけないという状態で、それはそもそも錯覚ですが、当人は本気でそう思っているわけです。
ゲームをやり続ける。明日仕事だと分かっていても夜中までやってしまう。止められない。
収入よりも高価なものを買い続けてしまう。後で後悔して、今月はちゃんと収入内でと思うが、また気がついたらカードで買ってしまう。やめられない。
同じようなことが摂食障害にも当てはまります。過食が止められない。食べ続けたあとで、とても辛くなる。自分なんていなくなればいいと思う。
または、甘い物、砂糖を摂り続けてしまう。
趣味がやめられなくなり逆に辛いといった依存もあります。
こうやって、文章にしてみると、確かに傷ついているはずだ、きっと辛いだろうな、やめたほうがいいと思えますよね。
きっと、あなたの友達がこのような行動に苦しんでいたら、なんとかしてあげようと思うと思います。
しかし、当事者となると、友達を見るように客観的にはなれません。やった後の後悔や、自覚もあるけれど、やめられないのです。
それが依存です。
そして、生きることの感覚はこんな感じです。
なんで生きているのかな・・・、
周りのみんなの人生は充実してるんだ、へえー、
私にはそんなものはないけど・・・、
自分のことを大切にするってどんな感じなんだろうな・・・・、
豊かさって何?意味がわからない・・・・、
自分を愛するってもっと分からない・・・・
という感じです。
だからこそ、友達だったら絶対に止めるようなことを、自分には平気でやれてしまうわけです。
これは、私の経験ですが、自分の人生じゃないような感じ/離人感のエネルギーの層のようなものが私のエネルギー体に蓄積していたことがありました。
なんだか全身の上にモヤがかかっているみたいで、世界が遠くにあるようなそんな感覚でした。
そしてそれは、依存的な行動を続けたことでできたモヤだった。
そして、そのモヤは自分を守るために自分で作ったんだと、あとになって気がついたことがあります。
傷つかないようにと、世界から自分を守るためのものだった。
いつか依存的行動を解消していくフェーズがやってきます。
もう必要なものではないんです。
今日は依存と自分の人生の感覚がないことについてお伝えしました。
良い一日を♫
コメント